小 塚 原 刑 場 跡


江戸の刑場は、元々「北の浅草」「南の芝」の二箇所に設けられていました。
幕府成立から半世紀近くもたち人口も増え、人家も建ち並ぶようになったので
より目のつかない所に移されることとなりました。
浅草から千住へ移されたのが「小塚原刑場跡」、
芝から移されたのが「鈴ヶ森刑場跡」です。

どうりであの辺一体 浅草、千住・・・の周辺も含み霊現象が多く
おかしな事が多く起きる訳ですわ。
あの辺一体が心霊スポットと言うわけですな。
(でも原因は、これだけでは、ありませんけどね)
他にも多くの原因があります。
この件に関しては、また別の機会にでも!


ところでぇ・・
2年ほど前に南千住の駅の側を車で通った時の事。
駅の手前100mほどの所で、助手が「この辺ってなんか感じる?」と聞くので
「いやぁ〜・・・別に」と答えていたら、すぐに重い空気が・・・

あっ!ここは、いるね。
沢山いるなぁ・・・

そこは、丁度駅のすぐ横あたりでした。

助手:ここね、昔工事の時に掘り返したら、沢山の人骨が出てきた所なんだってさ

私は、そんな事も知らないし、小塚原の事もその当時は知らなかったので
ふーんと聞き流してしまっていました。
その骨が発見されたのは、昭和48年頃だそうで1mも掘ると
ゴロゴロと骸骨が出てきたそうです。
ここも鈴ヶ森と同様の亡骸の処分方をしていたのでしょう。


今から思えば、ここが小塚原で処刑された罪人達の亡骸が
そこに捨てられてたのでしょう。
知らずに私は、接近して行ってたのですね。

時々南千住の駅の近くを通ると、いろいろな想いの念が渦巻いていて
気持ちの良くない場所だと感じていました。

処刑場跡には、縁はないと勝手に思ってた私ですが・・・
そうでは、ないようですねr(^^;)ポリポリ

すでに数年前から呼ばれてたのですね。

史跡:小塚原回向院
そしてやっと来ましたよ。
南の刑場跡 小塚原。
「回向院」というお寺がその供養をしてます。早速お墓探しです。
多くの他のお墓のはじにありました。


ここには、多くの有名な人達が処刑され眠っていました。

高橋お伝、片岡直次郎、腕の喜三郎、相馬大作、磯部浅一、中村太郎、
雲井竜雄、柴田市太郎、橋本佐内 その他大勢・・・・

やはり知らない人が多い (^^;ゞ
歴史に弱い私・・・・

橋本景岳先生墓所
  橋本左内は、医学や地理・歴史・兵学など広い
 分野の蘭学を世に伝えました。
 しかし、将軍継嗣決定問題に関係したという罪で、
 幕府のお咎め(おとがめ)を受け処刑されました。


【←:橋本景岳先生墓所 】

左から:【ねずみ小僧次郎吉】【片岡直次郎】【高橋お伝】【腕の喜三郎】
勿論いましたよ。ねずみ小僧次郎吉!
そのお墓の前に立って線香に火をつけていると・・・

「おぅ!待ってたぜぃ」とバリバリの江戸弁。
ニヤリと笑うんです。
やっぱり昨日の人でした。
嘘じゃなかったんだ・・・
次郎吉だったんだ・・・・

私は、来たよ!と言ってやりました。
処刑にあったのに明るい人だ。(笑)

その並びにあるお伝の墓に目をやると

「ふん!」だと・・・・
なんて態度・・・

傲慢で嘘つきでお金が一番大事な殺人者のくせにぃ・・・
なんで地獄に落ちないで、ここにいられるのよ。
あー地獄にも行かせてもらえないんだ。自業自得だね。
私もこんなやつ知らない! ふん!!
私に何か嘘ついて助けてもらおうとしても無理だと思ったのでしょう。
それに意地っ張りだから、私にお願いなんてして笑われるのがわかっていて
それが余程イヤだったのでしょう。


腕の墓石には、笑ってしまいました。
腕の喜三郎の墓です。

現在の墓石は、新しく建て直した物です。
古い墓石は、みんなが触って小さくボコボコに。
新しい墓石の後ろにあります。
触られないように、金網が張られていますが
やっぱり悪いやつがいるんですねぇ・・・
金網に穴が開けてありまた。

吉展地蔵尊  ここ回向院には、あの吉展ちゃんの供養の為の地蔵尊もあります。
当時4歳。誘拐されてすぐ殺された・・・・
これも縁起です・・・
吉展ちゃんの冥福をお祈りしましょう。
きっと今度生まれ変わって来る時には、これを因縁と持って来ないよう願うばかりです。
 犯人は昭和46年12月死刑を執行されてます。

 犯人と被害者・・・
因縁でその子孫が、また逆の事をしないよう堪えて欲しいものです。

 実例もありますからね。
例え犯人が精神異常だとしても、不思議な因縁と言うのはつきまとうのです。

ある無差別殺人犯がそうです。
実は、先祖の代で・・・・
被害者の先祖が、殺人犯の先祖を殺してるのです。
因縁は、恐いですよ。特に呪われた因縁は・・・

だから吉展ちゃんを殺害した犯人が精神異常の無差別誘拐殺人だとしても
古い時代に被害者と犯人、この二人の先祖の間で何かあったのかもしれませんよ。
これは、血縁でもありうる事なのですよ。

すみません、話がそれました。 (¨;)

さてそれでは、資料館を見せてもらおうとすると・・・
また!です・・・

「今日は、こんな人が沢山来てるからね、閉めてるんですよ・・・
 明日なら良いんですけどね・・・」

・・・・・
もういい加減にして・・・ (×_×)

なんで3日も続けて来なくちゃいけないのよぉ・・・
お彼岸だから?

それが不思議な事に、私の受けている特別供養の人達がやると言いつつ
「まだ予定が立たない」と連絡待ちなんです。

処刑場関係の者達に邪魔されているのでしょうか・・・
困ったもんです・・・


でもって翌日 (><@)
どうしようかなぁ・・
うぅ〜ん・・・・・ 面倒だなぁ・・
でも、ここまでやったら見たいしなぁ・・
ぐずぐずと午後から出かける事にしました。 (^^;;;;;;;;)

移動中眠かったのでウトウトしていると
急に念を感じて周りを見ると、そこはもう南千住の駅の側でした。

あぁーなるほど・・・
資料室
そしてやっと! 刑場の資料を見せてもらう事になりました。
普段は、締め切っているらしい2階の扉
中に入ると鉄の重たい扉・・・ カギを開けてもらいました。
ガラガラっと扉が開くと・・・
すごい!

なんだ。この圧迫感は・・・
中に入ろうとすると、すごい念氣で覆われて
これは久しぶりに、すごい危険な所だ。

細長の部屋の左右に並べられた当時の資料
部屋の真中へんに行くとここが一番すごいぞ。
私は、すぐ助手に対して九字を切りました。

ここは、素人や霊媒体質の人が来てはならない所だと感じました。
日本刀
 そこには、これで相当な数の首を斬った本物の刀が
二本ありました。
部屋の空気が蠢き(うごめき)ます。
 みんな大した犯罪を犯した訳じゃないのに、
処刑された人々の悲痛な声にならない唸り声が、
沢山聞こえてきました。

処刑間近・・・ 恐怖で足の力が抜け震えが止まらない・・・
そして一瞬で切られる。
日本刀:供養
私は、ここにいると吐き気さえありました。
刀に向かい手を合わせて、供養の真言を唱え、氣を送った。

右腕がズン! と重くなる・・・
痛い! 右腕が痛い! 締め付けられるような痛みだ。
恐らく罪人達は、首切り場に連れて来られ座らせる時に、
手を後ろ手に縛られ、右肩から腕を強く押さえつけられて
強引にされたのでしょう。
声にならない悲痛の叫びが、沢山唸り続けてる。
首が苦しい・・・・
その念の氣は、物凄い。私の全身を覆った。
救いを求めてる・・・・

印を組みとにかく念を抑えて魂達を静める事にした。
するとなんとかその騒ぎは収まったけど・・・
まだ数々の念は漂ってる・・・
これ以上この刀に関わると大変な事になる。
ここは、少しでも楽になってもらうだけしか出来ない・・・


首をはねられた瞬間に、処刑人は首切り人と目が合うそうです。
それが気味悪いので、その後罪人を処刑する時に三角の紙をおでこに
貼り付けるようになったそうです。
これで目が合わないようになったそうです。

だからおばけというと、おでこに三角つけてるのですね。
私もここでそれを初めて知りました。
三角をつけた霊は、処刑された人だったんだなぁ・・・

心霊写真のコーナーにある写真にも、まさに三角つけて舌を長く出してる首が
写ってますよ。
あれは浅草で写したものです。納得できますね。

鈴ヶ森の霊にも三角つけてる首が写ってますよ。


しかし・・・ 鈴ヶ森もここのお墓もクリアで悪念や悪霊といった
ものが存在してないようです。

この狭い部屋の中だけは、別のようですが・・・・
首切りの刀・・・・
何人もの人達の血で染められた刀・・・
殺気がすごい。

頭蓋骨
 髑髏(どくろ)が二つ・・・
 誰のでしょ?
 髑髏は、何も語りませんでした。 

その後せっかくだからと、またお墓の方へ向かいました。
真っ直ぐ4人の墓の前に行き、次郎吉に「また来たぞぉ♪」と言うと

「よっ! ありがとさんよ」と喜んでいました。
また線香をあげる私。。

よく見ると次郎吉の墓石の所にお金が置いてありました。

変なのぉ・・・ なんで日本人ってこうなんだ?
神にお金はわかるけど、お墓にお金ってなんだ???

私が笑ってると助手が、「ここに70円あるから〜、ホィ♪」と
100円玉を置いた。   (¬¬)チラ

すると次郎吉は、「それは貰いあせんよ・・・」と困り顔。
線香をあげる結城
私が「それならそれを千倍にして返してくれれば良いから」と笑うと
ニヤリと次郎吉も笑っていました。

それから次に、お伝はというと・・・
昨日とは、打って変わって態度が違う・・・
やたら下手な態度・・・・  (¬¬)

「違うんですよぉぉ・・」といやらしい目つきで、へらへらしてる。

何が違うのよ、あんたねー・・・ (-_-メ)
あんたの話なんか聞きたくもないよ。
どうせ私もお金欲しいって考えだったんでしょう。
見え見えですよ。
線香だけでもありがたく思え!

他の人達は、相変わらず静かでしたよ。
喜三郎の姿は、ガタイの良いムスッとした姿がわかりましたけど・・・

しかし・・・ なんで?
鈴ヶ森のお七といい、お伝や、次郎吉は、この辺にいるんだろう??
お伝は、その新しい墓にいるだけのようだけど。
お七と次郎吉は、移動したりしてる・・・
成仏してないなぁ・・・・
お伝とお七は、あんな感じでバカだし、処刑されて死んでも、まだ自分の欲に
執着してるから、あの世に行く気なんかないようです。
本当にバカだよね。
死んでるのは、わかってるくせに、まだ色と金の欲・・・・
頼まれてもいないし、ほっとく事にしました。

次郎吉は、良い奴なんで成仏させてあげました。
後の静かな墓は、もう成仏しているのでしょうね。

史跡小塚原刑場跡:延命寺
それから私達は、すぐ近くの延命寺に行きました。
刑死者の菩提をともらう為に建てられた「首切り地蔵」を
見る為です。

当時は、刑場の敷地内だったはずです。
ここを中心にコツ通りがありライン上に回向院本堂と別院があったとされてます。

首切り地蔵
大きなお地蔵さんの下には、いろいろな神が彫られた小さい石仏が沢山並んでいます。

ここのお墓を覗いてみました。
回向院もそうだったのですけど、ちゃんと名前も家紋も彫られてるのに無縁仏と いうお墓が多く、誰もかまわないお墓がいくつかありました。
ひどいお墓だと、腐りかけた木の柱が一本あるだけでした。
全部の無縁仏に線香をあげて、供養の真言を唱えて歩き回り、
「その家系は、全て絶えてしまったのだろうか?」と考えていると。
多くの無縁の墓の一つから「絶えたんです・・」と聞こえてきました。
この無縁の墓の魂は、成仏してない魂がいたらしい。

他の何も念も感じないし語らない無縁仏は、もうすでに成仏しているのかも・・・
ここに魂は、すでにないのがわかります。

お墓:1

  この墓石の山をどう思いますか?
 ひどい状態ですよ。
 なんとかならいのでしょうかねぇ・・・ 
お墓:2

後日わかった事なんですが、今の回向院は、本所の回向院の別院として
造られたそうです。
本所の回向院は、民家も増え人目につくので、人目につきづらい別院を建て処刑場は、
別院へ移ったそうです。

昔の回向院は・・・刑場跡地は、もうないのでしょうか?
地図で見る限りわからなかったので、探しませんでしたけどね。(^^;ゞ

道路の拡幅で旧本堂は、取りれ壊されたそうです。
昭和47年その工事によって道路面から、首だけが40人分!
48年には、緑黒石の荒石の標石3ヶと首骨が・・
49年に本堂が再建された、草ぼうぼうの荒地だった小塚原は、
樽詰めの頭蓋骨が200ほど!
更に地下鉄の高架が通って、旧刑場との間を分断して首切地蔵との間を
隔ててはいるが・・・

そこには20万人の怨念と血と涙を吸い取った土地が
今でもあるわけです・・・

江戸の下町は、処刑所が多かったという事ですね。

昭和に入ってから下町一帯に、空襲がありました。
例え人が選んだとしても、そう仕向けたのは、神でしょう・・・
救うばかりが、神ではありません。
人々に気付かせる為、戒め(いましめ)の為にも天災も起こします。
戦争も起こします。

神は、甘くありません。

これでやっとこの件から解放されるかなぁ・・・
もう疲れたよぉ・・・
結城 瞳



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