沖縄本島南部


沖縄は第二次戦線で、住民を巻き込んでの戦場の場となり、この南部では多くの命と文化遺産を失いました。
何ヶ所もある祈念碑の中から幾つかの場所を回ってみました。

空港から直ぐの米軍基地は、現地でも有名なスポットとなってますが、基地の辺りに来ると空気は異様に変わります。
場所柄、撮影は出来ないので写真はありません。

 平和祈念公園

祈念碑
ココには、沖縄戦で亡くなった20万人の追悼の祈念碑があり、県別に一人一人の名前が刻まれた碑がある。

こんなに見晴らしが良くて、素晴らしく奇麗な土地で悲劇があったなんて、今では考えられないけど、土産屋にあった戦争の本を見ると、その頃の光景は酷いものだった。


ココにも祈念碑があって、みんなが拝むのはやはりココらしいです。
しかしココは、新しく作られた物。(^^ゞ

結城 / 祈念碑
 
6月23日の日の出の方位に合わせて設定されてる
メイン園路は、慰霊の日(6月23日)の日の出の方位に合わせて設定されてるそうです。


山に戦没者のお墓がある 本来ならこの山にある本当の戦死者のお墓にお参りすべきなんだけど、とてもじゃないけど・・・
行きませんでした。。。。  (;^^)

その代わり山の方に向かってる祈念碑にもお参りをしました。
午前中に行ったので、空気も普通で心霊スポットとなってるとは思えないくらいですが、ここもスポットとなってるようです。


カーステレオに雑音が入る。
CDが止まる。
車のエンジンが止まってかからなくなる。
窓が開かなくなる。
兵隊の霊に囲まれる。
頭が痛くなり息苦しくなる。
   ・
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しかし、ココでは特に何も感じなかった。
クリアって感じではなかったけど。


 荒崎海岸 [喜屋武岬]

平和祈念公園と繋がってる海岸線、海岸や岬にも心霊話があるらしい。
この辺り一帯も戦地だった訳で当然だろう。
投降を呼びかける米軍の前で、自決する人も多かったそうです。
荒崎海岸

岬の崖はものすごい絶壁で高い。
断崖絶壁

高所恐怖症の私としては、とてもじゃないけど立っていられない。
ココから飛び降りるなんて・・・ 死んだ方がマシ。。。って。
飛び降りたら間違いなく死んでしまうわ。

別の方法で死を選ぶ理由もわかる気がする。
荒崎海岸で自決した中には、ひめゆり部隊の生き残りもいる。


悲しみが伝わってくる。
「逃げられない。どっちにしても生きて逃げる事は出来ない。」
と考えた時の恐怖と悲しみ絶望。。。。

岬から見える荒崎海岸
岬から見える荒崎海岸。
ココも本当に奇麗な景色だ・・・

岬には、目につきづらい所に塔婆が立ってた。
(写真:下)

あまりちゃんと管理されてもないらしい。
ココは、お花を上げる人もほとんどいないのだろう。

夜には、気配が変わる気がする。
街灯も無く真っ暗だろうし。
ココへ来るまでの道のりも、途中からサトウキビ畑の中を縫ってる。
細い道しかなくてとても寂しい場所でした。
ちゃんと管理されてもない?


 ひめゆりの塔

一度は、来たいと思ってた場所の一つです。
来たいというより「会いたい」ですね。

沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校生徒222人による、女子部隊が看護活動を行っていた最後の場所。
この部隊を「ひめゆり部隊」というそうです。

遺影碑に顔が現れてます
ココに部隊が移動した6月には、医薬品や食糧も底をついていた。
6月18日。突如、軍より解散命令が下された。
この後、壕より脱出する直前に米軍のガス弾が打ち込まれ、兵士や学徒の多くが死亡。生還者はわずかだった。
ひめゆりの塔は、この壕の上に建てられている。
ひめゆり部隊の犠牲者194人の内、解散後の死者が128人。
(遺影碑[写真:左]に顔が現れてます)
慰霊塔は、遺骨を祀られてるそうです。(写真:下))
慰霊塔

資料館 私達は、資料館も回りました。
当時の遺品など医療に使われた物などが展示されています。
大勢の悲しみが伝わって来ます。
それはそれはとても悲しくて、私も感情移入して悲しくなり、涙が出てきました。

心霊写真館にもココで撮れた写真がありますが、私の写した写真にもやはり窓に当時の女性が写っていました。
(写真:右[□はアップ部分])
顔から胸元くらいまでが写ってます。

この洞窟で・・・ この洞窟に隠れて殺された・・・
実はココに来るのは私は二度目なんです。
一度目は、ココに立つと
「あゝ、やっと来てくれましたね。ありがとう。」
と声がした。
今回も
「また来てくれたんですね。ありがとうございます。嬉しいです。」
と聞こえた。

献花する結城 数十名の女性がこの洞穴にいる。
ずっといるんだねぇ・・・
だけど私には笑顔を見せてくれる明るい女子達。
とっても恐い思いをしただろうに・・・
大勢の参拝者がいる事も、嬉しいと思ってるようです。
確かにココには、霊がいるのに心霊スポットとなってないのは何故なんだろうね?


 白梅の塔

白梅の塔
沖縄県立第二高等学校の4年生56人で結成された白梅学徒看護隊は、昭和20年3月6日八重瀬岳にある第二十四師団の看護教育隊に入隊し、一野線病院に補助看護婦としての特別集中教育を受けていた。
米軍の砲撃が激しくなったので、昼夜なく看護にあたった。
戦況は日々悪化し白梅隊は解放されたが、隊員は散り散りになって戦野を放浪し、1人また1人と戦火に倒れていった。
戦争が終わった時、白梅看護隊56名のうち22名が還らぬ人となっていました。
千羽鶴
納骨堂
開放後再び一野線病院に合流した一部の白梅隊員は、碑の近くにある自然壕にいたが、6月21日、22日の両日にわたり米軍の馬乗り攻撃にあう。
(地上から地下の壕内への馬乗り状態での攻撃。爆弾やガソリンを流し込むなど火による攻撃が主。)
自決之壕
火炎放射器での攻撃を受け、手榴弾で自決した。
当時、米軍に捕まれば若い女性は乱暴されたうえ殺されると教えられていた。
そのため自決用の手榴弾を欲しがる人が多かったという。
白梅の塔の脇に女学生たちが自決したという『自決之壕』がある。
自決したのは、解散命令のあと再び山部隊に戻った者16名のうち10名といわれている。
また白梅の塔と同じ敷地内に富盛の住民が散乱していた遺骨を集め祀った『万魂之塔』が建っている。3千人の死者を祀っている。
万魂之塔

ココは・・・ 空気からして違う。
回った中で一番状態の悪い土地だ。
霊の気配もすごくした。
これは・・・ 夜になれば心霊体験をする人も多いだろう。
ココは、訪れる人も少ないらしい。
「おーい!」と助手の呼ぶ声がした。
「こっち。こっち。」

行って見ると・・・
「何だ? この洞穴??」
降りて中へ入ってみる。
洞穴
見えるだろうか・・

表からただならぬ淀んだ気配。。。
中にも千羽鶴や、お供えが置いてあった。
きっとココへ逃げ込み隠れただろう。
そしてココでも死んだのだろう。
霊気がすごい。
見えるだろうか・・・ 複数の顔。

ひめゆりと違い、ココでは誰も声をかけてくる者もいない。
死にたくて自決したんじゃないだろうに、「助けて」という感情も伝わって来ない。

ただ・・・ 苦しみはわかった。
恐いという感覚もあった。
昼間でもかなり淀んだ土地だった。

夜・・・
南部でないけど何処だかわからん・・・ たぶん中部。
車で走行中。
街灯もない暗い道を走ってると・・・

おっ。視えた。
肉眼で視えた。
兵隊が1人立っていた。

その道では、複数の肉眼では視えない兵隊達がいるのがわかった。
みんなうつむいて、暗い感じだった。
当然、空気も重かった。



これで沖縄レポートは、終わり・・・
沖縄には、大勢のユタがいる。
なのになんだこの状態は。。
なんとかせいっちゅーの。
結城 瞳


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