ここ鈴ヶ森では、もっとも楽な? 軽い? 処刑方法の刀での首切りは、 あまりしていなかったらしいです。 首切りは、小伝馬町(当時伝馬町)と言う地で行われていたそうです。 そして、その斬り落とされた首を鈴ヶ森まで持ってきて、さらし首にしたそうです。 そんな訳で、鈴ヶ森からは、骸骨ばかりが沢山出てきたそうです。 体と離された首・・・・ その魂は「首がない・・・」と探してさ迷っていたりしてることでしょう。 そして、それらの罪人達の亡骸は、深く穴を掘って埋められたりもしてないでしょう。 私に伝わってくるその風景では、浅く掘られたくぼみに物のように投げ込まれる 生首や裂かれた体・・・ 半分こげた胴体などが山積み・・・ 匂いも相当なものだったと思います。 鈴ヶ森の刑場もそれまでの法律、制度が廃止された明治4年に閉鎖されました。
帰りがけに助手が「まだ、あそこに次郎吉いるの?」と聞いてきました。
結城:いるよ。 今はね・・・ その霊は木の上から私を見ていました。 それからこれは、私からもお願いなんですけど! 住職からの注意書きがありましたので、ここでそれを紹介します。
かなり怒ってらっしゃる・・・住職。 冷やかしで行って荒らしたり! 騒いだり! 踏んではいけない物を 踏んだりして、悪さをしてる人が沢山いるようです。 心ない行動は、絶対にしないで下さい。 そう言う人達にはお返しがありますよ! そして次の日・・・ また私達は、鈴ヶ森へと・・・ その後南千住に行く予定で・・ 約束通り私達は、その当時の写真など拝見させて頂きました。 それがこれらの写真です。 ![]() 見つけましたよ。 首切り処刑所跡地。 お寺があり、細い道を挟んで公園です。 私の見たところ ここも広かったのでしょう。 公園もその敷地内だったと思います。 公園には、処刑開始の合図に鳴らしたと言われる 鐘が残されていました。 ![]() 何故軽い刑かというと、一瞬にして刀で首を斬り落とされる訳で、 即死状態ですよ。 痛みも苦しみもそんなに感じる間もなく殺されたのですからね。 ノコギリで切られるよりずっと本人も楽に殺されてる訳です。 死に顔も悲痛の顔はしていませんよ。 それらの罪人の魂は、このお寺で供養されてるらしいです。 そしていよいよ小塚原に向かって・・・ |
結城 瞳 |
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