首洗いの井戸
これらの処刑人達の首は、「首洗いの井戸」として残る
この井戸の塩水で、役人が血しぶきを洗い落とした後、
さらし首にされたのでした。

霊アップ2 首洗いの井戸を撮ったら・・・・
その後ろに止まってる車の窓に・・・
子供でしょうか? 男の子のようですね。
何も言ってくれないので、
誰だかわからないけど・・・
お犬様の子か?
災害で死んだ子か?

ここ鈴ヶ森では、もっとも楽な? 軽い? 処刑方法の刀での首切りは、
あまりしていなかったらしいです。
首切りは、小伝馬町(当時伝馬町)と言う地で行われていたそうです。

そして、その斬り落とされた首を鈴ヶ森まで持ってきて、さらし首にしたそうです。
そんな訳で、鈴ヶ森からは、骸骨ばかりが沢山出てきたそうです。
体と離された首・・・・
その魂は「首がない・・・」と探してさ迷っていたりしてることでしょう。

そして、それらの罪人達の亡骸は、深く穴を掘って埋められたりもしてないでしょう。
私に伝わってくるその風景では、浅く掘られたくぼみに物のように投げ込まれる
生首や裂かれた体・・・ 半分こげた胴体などが山積み・・・
匂いも相当なものだったと思います。

鈴ヶ森の刑場もそれまでの法律、制度が廃止された明治4年に閉鎖されました。

 最後の処刑人、元幕府渡辺健蔵は、
ここに墓が残されている唯一の人物です。
 明治初頭、旧幕府と官軍の戦いが盛んだった頃、
官軍は元民に米や金を強要するなど
散々な振る舞いをしてました。
渡辺健蔵は難儀を見かねて池上本門寺の
有栖川宮に直訴に行くのですが、
それを「官軍に対する謀反」だとみなされ捕らえられて、
そして現在の「りょうぜん橋」のたもとで首を
落とされて、さらし首にされてしまったのです。
民衆は、健蔵の死を偲んで墓を作り「勇猛院日健居士」
という尊称を戒名に付けて
ここに祭ったそうです。
通称「お首さま」
お首さま
霊がいた所
ここには、人間の他にも天災や戦争で死んだ家畜や、 安政の大火事で焼け死んだ馬達の
霊を供養する為、「馬頭観音」の碑が建てられてます。

その他にも「水難供養塔」「鯉塚」「無縁供養塔」と、地元の人達にとって、 あらゆる死者を供養する神聖な場に変わっています。
水難供養塔
無縁供養塔
この供養の為の地蔵の顔・・・
いたずらされています。
 このように悪質ないたずらを
する大馬鹿者がいるのが、とても
悲しいです!


帰りがけに助手が「まだ、あそこに次郎吉いるの?」と聞いてきました。

結城:いるよ。 今はね・・・

その霊は木の上から私を見ていました。


それからこれは、私からもお願いなんですけど!
住職からの注意書きがありましたので、ここでそれを紹介します。






















 























 


















































 













 


かなり怒ってらっしゃる・・・住職。
冷やかしで行って荒らしたり! 騒いだり! 踏んではいけない物を
踏んだりして、悪さをしてる人が沢山いるようです。
心ない行動は、絶対にしないで下さい。
そう言う人達にはお返しがありますよ!




そして次の日・・・
また私達は、鈴ヶ森へと・・・
その後南千住に行く予定で・・

約束通り私達は、その当時の写真など拝見させて頂きました。
それがこれらの写真です。

◇ ◆ 本物の死体の写真ですから見たい人だけここをクリックして下さい ◆ ◇


xxxその後予定を変え、まず小伝馬町に向かいました。
見つけましたよ。
首切り処刑所跡地。
お寺があり、細い道を挟んで公園です。
私の見たところ ここも広かったのでしょう。
公園もその敷地内だったと思います。
公園には、処刑開始の合図に鳴らしたと言われる
鐘が残されていました。



xxx 刀での処刑・・・
何故軽い刑かというと、一瞬にして刀で首を斬り落とされる訳で、
即死状態ですよ。
痛みも苦しみもそんなに感じる間もなく殺されたのですからね。
ノコギリで切られるよりずっと本人も楽に殺されてる訳です。
死に顔も悲痛の顔はしていませんよ。
それらの罪人の魂は、このお寺で供養されてるらしいです。

そしていよいよ小塚原に向かって・・・
結城 瞳


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