将 門 の 首 塚


将門の首塚
有名な観光名所の一つとなっていますね。

ビジネス街の中にポツンとある将門の首塚です。

1000年も前の人・・・ 平将門。
関東の豪族。
父の後継ぎとして後を継いだものの・・
血縁同士の争いに・・
元々は、優しい人だった。
正義の味方だった。
自らを親王と名乗った強い武士だった。

将門は、怒りと悲しみに狂った・・・
敵は、親戚であり親友であった・・

将門の首塚 そしてかつての親友、平貞盛が戦闘を仕掛けて来た。
相手軍は、将門軍の10倍。
死闘は、2週間に及んだそうな。
そして・・・
最後、将門の首を取った者は貞盛だった・・・

汚いやり方で仕掛けて来た元親友への怒り・・・
これが将門の一番の悔しさだったのだろう。

こんな言い伝えが・・・
茨木県で落命した後、京都に送られ獄門にされた将門の首が、
腐りもせずに眼を見開いて切断された自分の胴体を求めては
「頭ついで今一軍せん!」と夜な夜な叫んだとか・・・

胴体を求めて宙を飛ぶ首をここで射落としたとか・・

ここで首は力尽きて落ちたとか・・・
だからここを祀ったと言われてますね・・・?
そんなに凄い魂を持った人なら、こんなもんじゃ済まないと思いますけどね。
だいたい生首がそんなに飛ぶわけないじゃないよぉ・・・

首をここに埋めたとか・・・

大正12年9月1日 関東大震災で当時大手町にあった大蔵省も被害を受け
建て直しがされる事になり、その仮庁舎予定地がここ首塚も含まれていて
工事が始まると首塚も崩された・・・

それから始まった奇妙な出来事・・・

当時の大蔵大臣、早速 整爾が体調を崩し意識不明の状態になった。
その原因は、不明。。
医師団の必死の努力も虚しく一ヶ月後に亡くなった。
そして後を追うように・・・
大蔵省の官僚達が次々と不明の怪死をしていった。
その数14人。

白い点があるのは小雨が降ってるからです 『首塚の祟り』と恐れられ直ちに仮庁舎を取り壊し、首塚を再現したら祟りも納まったかのように思えたが・・・

戦後、昭和20年、GHQが焼け跡のままであった首塚周辺に目をつけた。
巨大な駐車場を作る為。
そして整備が始まり、着々と工事も進むなか再び異変が起こり始めたそうな・・・

整備の為、土を掘り返しているとそこから墓石が出て来た。
その墓石を取り除く為にブルトーザーで墓石を掘り返そうとした途端、
車体が浮き横転した。
この時の事故で2人が死亡。

将門の首塚 そしてそのわずか先に無傷の首塚があった。
工事は、直ちに中止・・・
そして首塚は、またそのまま残される事になった。


本当に将門の祟りなのか・・・?

しかし・・ こうして起きた数々の事件は、事実。
少なくとも、数十人の人が死んでいる。


周りのビルの各フロアーでは、すべて首塚に背を向けないように建っているそうです。
決して人間も背を向けて仕事をしないようにしているそうです。
そして、三井物産の社員が毎日供養しているそうですよ。

しかし、そこまでしてよくもこんなに側にビルを建てたもんだ。
恐くなかったのかなぁ?
余程の根性者か、「そんなの嘘だ!」と信じていない人達なんでしょうね。
ここで働いてる人達も大した度胸だと思いますわ。

ここは面白半分で行くと必ず誰かが死ぬと言われているようですが・・・
私は、以前からここではそんな悪念は感じてません。
全然クリアだと思って、興味がありませんでした。
だから後回しになっていましたが (^_^;) ひょんな事から行く事になりまして・・

昼間行ったんだけど、やっぱり観光の人達で一杯でしたよ。
この人達に言っちゃ悪いけど、殆どが面白半分でしょう。
供養の気持を持って来る人達なんか、ほんのわずかだと思いますよぉ。
さぞや一杯の人達が死んでなくてはなりませんねぇ・・・

しかし・・・
外からしか見ていなかった時よりも中に入ると・・・ 確かにクリアではないです。
なんとなくですが悪い感じはしましたね。
空気は、軽いんだけど、ぐわんとした何とも言えない空間です。

でも、霊気とか言うものとは少し違うようです。
あんなに怪死をしている人達が沢山いるなら、もっと「無念の怒り」とか「悲しみ」とか
「悔しさ」とかを感じて良いはずなのに・・
悪念も感じません。

それを考えるとこの感じは不思議です。

将門の霊を供養する為に建てられた石塔婆。
首塚は、奥の右にあります。
酒井家上屋敷跡 この地は酒井家上屋敷跡で、伊達騒動の伊達安芸、原田甲斐が殺害された地です。

呪いならこの当時から始まってるはずです。
おかしいのは、将門の祟りじゃなくて、元々のこの土地の問題だと思います。

そんな怨念をも飲み込んでしまう程の力を持った土地なんでしょうね。
それは、長年かけて将門の怨念も薄れ、優しい心を取り戻した将門の念のエネルギーの氣のせいかも。
ただこの土地だけは、正々堂々と戦えなかった場所。
もう一度、正々堂々と親友と戦いたかったと・・・
それも同じこの土地で。
だからここを荒らして欲しくはないのでしょうね。
その気持がこの土地に残ったのかもしれません。

将門は、呼んでも答えません。
気配もない。
そんな念だけ置いて成仏したのかもしれません。
そんな事が出来たのも将門だったから可能だったのかも。

将門の供養 私は、他の人達がみんなはけてから、一応供養の為の行為を始めました。

やっぱり・・・ 将門の気配はないです。
でも、このなんとなくイヤ〜な空気は・・ たぶん磁場が狂ってると思います。
ビルの谷間にあるくぼみだからってのもありますが・・ ここだけすごい風です。

かえるが置かれてましたね。
かえるの置物を置くのには、「帰る」「返る」という祈願の為に置きます。

ここは・・・ 一体何がかえると言う意味で置かれているのでしょうか?
普通は、お金が返ると言う意味で置く人が多いのですけどね。
誰が何の為に置いたのでしょう・・?

まぁ・・ ここは夜でも無心で前を通るくらいなら、何も起こらないはずです。
でも冷やかしで行くのはやめた方が良いですよぉ。
くれぐれも地面は荒らさないように。

胴体の方はと言うと・・
茨城や千葉と数箇所あるようですね。 (¨;)
で・・・・ 首は・・・ 本当は何処に????
どうしてこう昔の有名人は、いろいろな所に墓があったり、祀られていたりするのか・・・・

このくらいの時代の人達って『非業の死をとげた人は祟る』と信じてたらしく
人間なのに神に祭り上げて「御霊信仰」していたようです。

ここ大手町の首塚も昔は度々「怪異が起こった」として、祠を建てたとされてます。

関連の他の場所は、遠いので行きません・・・ (^^ゞ
結城 瞳



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