鈴ヶ森刑場跡


ここは、私も行く少し前まで知らなかった所なんですよ。
江戸時代に多くの悪人達?が処刑されたと言う話です。
私からすると全員が悪人では、なかったと思うんです。
有名人だと天一坊、白木屋お駒、平井権八、八百屋お七・・・・
(私の知らない人もいる (^-^;A )
など多くの人が、ここで処刑されたそうです。

ノコギリで首を落とされ、その首を台に乗せさらし者にしたり、
火あぶりの刑で生きたまま火で焼く・・・
十字に磔(はりつけ)の刑で放置されたり、海岸に逆さ磔(はりつけ)、
串刺し、車裂、釜ゆでにされたり・・・・
「ちょっとそれって違うんじゃないの?」って感じの残虐さ・・・
(お風呂で、おじいちゃんのシチューの話を思い出してしまった)
なにも関係ない人達にも見せる事ないのに・・・
ここまでされれば、さすがに反省するかなって感じ!
というか、ここまでされる程の事していない人も結構いるようだ。
これを上から言われてやってた処刑役の人達も、全員がこれで良いと
思ってやっていた人は、少ないはず。
中には、喜んでやってた人もいるようだけど・・・
そんな人は、あの世で裁かれていることでしょう。
行き先は、地獄・・・ですね。

殺さないまでも、耳、鼻、腕、足そぎなど・・・
と情報は、こんな感じですかね。


首洗いの井戸というのがあって、切り落とした生首をこの井戸で洗ったそうです。
今は、金網がされ夜だったしよく中まで見えませんでした。

私が行った時は、空気もクリアで悪念も感じなかったし、
すごい事してた場所の割には、たいした事ないじゃんと言う感じでしたよ。
ちゃんと供養がされているのでしょうね  (^v^)
( 私が来たから隠れたと言う話もある(苦笑) 怒られるから )
ただ一人だけ・・・
お七さんだけは、ちと違うようでぇ・・・
随分わがままな性格らしい。
自分の事しか考えてない。
その為に、どんなに他の人達に迷惑かけても関係ないという性格は、
今でも変わってないようで・・・
全然反省してない。
馬鹿なんだね。

しかし・・・ なんでお七がここに来てるの?
お七の供養は、別の所でしてるはずなのに・・・
ここには、嫌な思い出しかないくせに・・・
あまりうろちょろするなって・・・

とてもきれいでそんなに古いものとは、思えないほど。
場所的には、Yの字の真中にあってなんだか変だけど。
元は、もっと広かったんでしょうしすぐ海だったのでしょう。

でも写真には、数枚霊が写っていましたよ。

磔台 霊アップ
ここには、コンクリートの修理跡があります。
その部分にたまたま霊体が重なってしまっています。
 だから再度試しても同じ写真は、撮れませんよ。
横の植え込みにも数体の霊が写ってますが、 細かすぎるのでわからないと思います。
でも、悪い念はありませんでしたよ。

次回は、昼間行ってみようとこの日は、これで終わりです。




そして二回目、お彼岸に朝から行ってみました。
明るい時に見ると、またお寺のおしゃれなこと!
かなりハイセンスの住職なんでしょう。

合掌本当は、お寺の中の文献なども見たかったのに・・・
なんとこの日は、お葬式が入ってて見学ができませんでした。
明日なら良いとのことで・・・・
泣く泣く外だけ見て、お線香をあげて終わりにする事にしました。

明日も来なくちゃいけないのかぁ・・・

と思いつつ、ちらっと用意されたお葬式の会場を覗きました。
知らないおじさんのお葬式らしいです。( 知ってたら恐いぃ )
そこを去ろうと会場を背にして歩こうとすると
ぐっ!と後ろから首の付け根になにか来ました。
あのおじさんだったのか?
他の誰か?
ハッキリわかりませんでしたけど、引き止められたのは確かでした。

無理矢理振り払いましたけどね。

影石
これは、南無妙法蓮華経と彫られた大きな影石。
鈴ヶ森題目供養塔です。

「お犬様」で有名な五代将軍網吉の時代に犬を傷つけた罰で、
処刑された一人息子を偲んで立てられたと言う話です。
この影石の横に・・・

助手:ねぇ・・・ ここに誰かいる?

私は、他の石碑を拝んでいたので、後回しにしていました。
それからそんな事は、すぐ忘れてしまい。
この影石の後ろ側に行くと

ここに次郎吉らしき霊がいました おっ!!
びっくりしたなぁ・・・・
確かにそこには、霊がいました。
黒い影がスッと動きました。
あんた誰? と聞くと

「線香くれなきゃやだ!」

・・・・・・・

その木に素速く登って行きました。
私は、わかったよぉ・・・・ と線香に火をつけると・・・

「次郎吉・・・・」と聞こえて来ました。

・・・・・ん?
なんで??  次郎吉って・・・ ねずみ小僧?
確かに身が軽い!

でも、ねずみ小僧次郎吉は、ここでなく千住の小塚原にお墓があるはず。

こりゃ明日も来ないとならないらしい・・・・
明日は、こっちにも来いと言う事かな?
2日続けて何でよぉぉ・・・・
火灸台
お七など放火の罪人はみなこの石の上で
生きたまま焼かれました。
「火灸台」といいます。
【←:写真左】
磔台
ここで丸橋忠弥が刺し殺されました。
罪人達は、この四角い穴に柱を立てて
磔にされ刺し殺されました。
「磔台」(はりつけだい)といいます。
【写真右:→】

二つとも元々あった場所から移動されています。
移動されず昔からそのままの場所にあるのが、
鈴ヶ森題目供養塔と、首洗いの井戸の二つだけです。
あとの碑は、狭められた時に移動したそうです。
やはり私の思った通り、元々かなりの広さだったそうです。
そして名前の通り森があったそうです。


次のページ